滋賀(近江)の旅 〜 1&2日目 瀬田の唐橋
滋賀は大津に着いて1日目。
まずは石山寺をたっぷりと楽しみ、
その足で、石山寺のすぐそばを流れている瀬田川沿いを歩きます。
天気もいいし、風も心地いいし、
川沿いを歩きつつ、JR石山駅まで行っちゃおう!となったのでした。
(後で調べたら、8.8kmほどの距離。結局、なんだかんだでいつも歩くんですねぇ。)
瀬田川では、外輪汽船(瀬田川リバークルーズ)や屋形船も出ています。
漁船も泊まってます。
ボート部の大学生が練習に励んでいます。
レガッタというらしいです。
川沿いは、散歩しやすいように舗装されていて
ところどころベンチなどもあります。
休めそうなカフェもちらほらとあったりします。
これは近所だったら、毎日でも散歩にくるなー
というほど、心地よいところでした。
あ、我が家の近所にも多摩川がありました。(^^;)
そんなこんな歩いていると
近江八景の一つ「瀬田の夕照」といわれる
「瀬田の唐橋」に到着しました。
08.04.27
近江八景とは、琵琶湖を中国の洞庭湖の名勝になぞらえて、
琵琶湖の南部を中心に選定され景勝地です。
この「瀬田(せた)の夕照(せきしょう)」のほかは、
「石山(いしやま)の秋月(しゅうげつ)」、「粟津(あわづ)の晴嵐(せいらん)」、
「三井(みい)の晩鐘(ばんしょう)」、「唐崎(からさき)の夜雨(やう)」、
「比良(ひら)の暮雪(ぼせつ)」、「堅田(かたた)の落雁(らくがん)」、
「矢橋(やばせ)の帰帆(きはん)」。
安藤広重作の浮世絵にも描かれているそうで、
楽しみにしておりました。
唐橋は、日本書紀に登場するほど古いもので
都である京都への交通や軍事の鍵を握る場所であるから
「唐橋を制するものは天下を制する」といわれていたそう。
〔近江昔話〕では、ここはムカデ退治で有名らしく
大きな看板がありました。
あるとき、瀬田の唐橋を通りかかった藤原秀郷が、
「敵を打つために力を貸してくれないか」とそこにいた男に頼まれます。
承知した秀郷は竜宮に連れて行かれます。
そこで襲ってきたのは大百足。
彼が唾をつけて放った矢が百足の眉間に命中。
見事に退治したので、竜神は米が尽きない米俵をお礼にプレゼント。
これ以来、彼は「俵籐太(たわらのとうた)」と呼ばれることになりました。

戦乱の中で何度も建て直し、現在のものは昭和のもので、
コンクリートの橋だからでしょうか?
夕暮れじゃなかったからでしょうか?
期待が大きかったのでしょうか?
橋の形や欄干などは美しいのですが、
想像していたのとはちょっと違いました。
もっと、なにか
おぉ〜、なんという・・・
っていうくらい感激するかと思っていたのです。
考えてみれば、ここは日常暮らしている人々も使用する橋。
外観の美しさだけでなく、耐用度が高いことが必要ですもんねぇ。
しかし、この橋のそばには、
日本らしい家屋のステキな風景もちゃんと残っていました。
08.04.27
こういう家屋が好みなので、
もう、もう、うれしかったですねぇ。
見ているだけでも、楽しかったです。
こちらは、上の写真の一部のアップなのですが、
油屋さんの看板があります。

こちらも同じく一部ですが、
なんともまあ、唐風というのでしょうか?
当時の中国の様式になるのでしょうか?
入り口の門がステキです。

今回、滋賀に旅して好ましいと感じたのは、
こういう家屋があちらこちらに残っていたことです。
電車の中から見ても、歩いていても、
商売のお店やら、農家の家やら、
古きよき、個人的に好みの家が残っているのです。
いいなぁ〜、滋賀♪
そういう好き印象があります。
こちらは石山の商店街のあるお店の軒先。
鳥が巣を作っていて、
そのままにされてました。

1日目は、このように石山寺から瀬田川沿いに歩き、
JR石山駅から大津駅に戻り、ホテルに宿泊したのですが、
結局、2日目の朝、ホテル近くの天孫神社に寄り、
京阪線で建部神社に行ったので、
ここ唐橋を再び見ることになったのでした。
そして、その後も、他の土地へ行く途中、帰る途中、
何度となく、この唐橋を電車の中から眺めました。
最後のほうには、すでにお馴染みの橋となっており、
見かけると、ちょっと安心するほどにまでなっておりました。
やっぱり、瀬田の唐橋は、魅力ある橋でありました。
G2008年5月30日
卯月廿六日 大安
水晶の月1日 白いスペクトルの風 KIN102
まずは石山寺をたっぷりと楽しみ、
その足で、石山寺のすぐそばを流れている瀬田川沿いを歩きます。
天気もいいし、風も心地いいし、
川沿いを歩きつつ、JR石山駅まで行っちゃおう!となったのでした。
(後で調べたら、8.8kmほどの距離。結局、なんだかんだでいつも歩くんですねぇ。)
瀬田川では、外輪汽船(瀬田川リバークルーズ)や屋形船も出ています。
漁船も泊まってます。
ボート部の大学生が練習に励んでいます。
レガッタというらしいです。
川沿いは、散歩しやすいように舗装されていて
ところどころベンチなどもあります。
休めそうなカフェもちらほらとあったりします。
これは近所だったら、毎日でも散歩にくるなー
というほど、心地よいところでした。
あ、我が家の近所にも多摩川がありました。(^^;)
そんなこんな歩いていると
近江八景の一つ「瀬田の夕照」といわれる
「瀬田の唐橋」に到着しました。
08.04.27近江八景とは、琵琶湖を中国の洞庭湖の名勝になぞらえて、
琵琶湖の南部を中心に選定され景勝地です。
この「瀬田(せた)の夕照(せきしょう)」のほかは、
「石山(いしやま)の秋月(しゅうげつ)」、「粟津(あわづ)の晴嵐(せいらん)」、
「三井(みい)の晩鐘(ばんしょう)」、「唐崎(からさき)の夜雨(やう)」、
「比良(ひら)の暮雪(ぼせつ)」、「堅田(かたた)の落雁(らくがん)」、
「矢橋(やばせ)の帰帆(きはん)」。
安藤広重作の浮世絵にも描かれているそうで、
楽しみにしておりました。
唐橋は、日本書紀に登場するほど古いもので
都である京都への交通や軍事の鍵を握る場所であるから
「唐橋を制するものは天下を制する」といわれていたそう。
〔近江昔話〕では、ここはムカデ退治で有名らしく
大きな看板がありました。
あるとき、瀬田の唐橋を通りかかった藤原秀郷が、
「敵を打つために力を貸してくれないか」とそこにいた男に頼まれます。
承知した秀郷は竜宮に連れて行かれます。
そこで襲ってきたのは大百足。
彼が唾をつけて放った矢が百足の眉間に命中。
見事に退治したので、竜神は米が尽きない米俵をお礼にプレゼント。
これ以来、彼は「俵籐太(たわらのとうた)」と呼ばれることになりました。

戦乱の中で何度も建て直し、現在のものは昭和のもので、
コンクリートの橋だからでしょうか?
夕暮れじゃなかったからでしょうか?
期待が大きかったのでしょうか?
橋の形や欄干などは美しいのですが、
想像していたのとはちょっと違いました。
もっと、なにか
おぉ〜、なんという・・・
っていうくらい感激するかと思っていたのです。
考えてみれば、ここは日常暮らしている人々も使用する橋。
外観の美しさだけでなく、耐用度が高いことが必要ですもんねぇ。
しかし、この橋のそばには、
日本らしい家屋のステキな風景もちゃんと残っていました。
08.04.27こういう家屋が好みなので、
もう、もう、うれしかったですねぇ。
見ているだけでも、楽しかったです。
こちらは、上の写真の一部のアップなのですが、
油屋さんの看板があります。

こちらも同じく一部ですが、
なんともまあ、唐風というのでしょうか?
当時の中国の様式になるのでしょうか?
入り口の門がステキです。

今回、滋賀に旅して好ましいと感じたのは、
こういう家屋があちらこちらに残っていたことです。
電車の中から見ても、歩いていても、
商売のお店やら、農家の家やら、
古きよき、個人的に好みの家が残っているのです。
いいなぁ〜、滋賀♪
そういう好き印象があります。
こちらは石山の商店街のあるお店の軒先。
鳥が巣を作っていて、
そのままにされてました。

1日目は、このように石山寺から瀬田川沿いに歩き、
JR石山駅から大津駅に戻り、ホテルに宿泊したのですが、
結局、2日目の朝、ホテル近くの天孫神社に寄り、
京阪線で建部神社に行ったので、
ここ唐橋を再び見ることになったのでした。
そして、その後も、他の土地へ行く途中、帰る途中、
何度となく、この唐橋を電車の中から眺めました。
最後のほうには、すでにお馴染みの橋となっており、
見かけると、ちょっと安心するほどにまでなっておりました。
やっぱり、瀬田の唐橋は、魅力ある橋でありました。
G2008年5月30日
卯月廿六日 大安
水晶の月1日 白いスペクトルの風 KIN102












































